ダメ文もわざとならOK

よい文章、うまい文章とは、気持ちのこもった文章です。気持ちの伝わる文章です。
さて、迷った状態を伝えたいとします。
そんなとき、だらだらした文章を使ってみるとどうでしょう?

自分史を作成するうえで、文章作成はメインの作業です。
うまい文章やわかりやすい文章は、文才に恵まれた人だけの特権だと思っていませんか?
もちろん文才に恵まれた人は、うまい文章やわかりやすい文章を書くことができます。
でも、特に文才がなくたって、十分にうまい文章やわかりやすい文章を書くことはできるんです。
ここでは、そのちょっとしたコツを1つずつ紹介していきます。

意外と気持ちが伝わると思いませんか?

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ぼくはそのとき、Aを選ぶのか、Bを選ぶのか、ずっと考えていた。
目の前にAとB2つを思い浮かべること1時間、出した結論は保留することだった。
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という文章と、
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Aを選ぶのだろうか、Aを選ぶというのは、aになることを予想すべきなのだが、それはよいのだろうか?
つまりaはbより良い結果だろうか、そんなことを選んでぼくは楽しいだろうか?

そう思って以前のことを思い出してみたら、bもありなんじゃないかと思うことがいくつもあったことを思い出した。となればBを選ぶのが正解かもしれないが、bになることはよいことなのだろうか?言い換えればbはaより良い結果なんだろうか、そんなことを選んでぼくはうれしいだろうか?

あるいはぼくがbを選ぶことにみんなはどう思うだろうか? 何とも思わなかったりして、もしそうならそれは寂しい。
でもみんなの喜ぶ顔が浮かばない。なかでもCさんはなんと言うだろうか? 認めてくれるだろうか? 

しかしCさんは以前ぼくの判断とは違うことを求めていた。でもCさんはぼくではないし、ぼくの味方とは限らないし、しかし敵でもないし、味方してくれることもあるし、しかし突然他人のふりをすることもあるし。
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のように結論すら書かない文章は、どちらが優柔不断でしょうか?

通常は簡潔明瞭な文章を書くことが当たり前のことですが、迷っているときを描写するには、その部分だけだらだら文を使うというものアリです。

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